※本記事は「1ドル=200円」という為替水準を仮定した思考実験です。将来の為替レートを予測するものではなく、特定の金融商品・外貨の売買を推奨するものでもありません。登場人物はフィクションです。試算は公的統計に基づく機械的な計算であり、実際の価格変動を保証するものではありません。
食卓、エネルギーと見てきたこの連載の3回目は、家の中にあるモノとサービスです。スマートフォン、冷蔵庫、エアコン。そして毎月引き落とされる配信サービスの料金。日本のメーカーの名前がついていても、スマートフォンやパソコンは輸入額が輸出額を大きく上回っています。1ドル=200円が定着したら、その値段はどう動くのか。総務省の統計をもとに考えます。
エアコンが止まった日
藤原ゆかり(44歳)は、自宅の仕事部屋からオンラインで日本語を教えています。受講生の大半は海外に住む人で、受講料は海外の決済サービスを通じてドルで受け取り、月に1回まとめて円に替えています。
8月のある日の午後、レッスンとレッスンの合間にリビングへ行くと、部屋の空気がぬるくなっていました。エアコンの表示は消えていません。風だけが、生ぬるく回っています。
リモコンを何度か操作しても冷たい風は戻らず、ゆかりは修理業者に電話をかけました。翌日に来た担当者の見立ては早く、部品の交換で直る型ではない、という話でした。
「12年もったなら十分だと思いますよ」
そう言われて頷きながら、ゆかりは頭の中で別の計算を始めていました。仕事部屋のパソコンも、動画の書き出しに前より時間がかかるようになっています。前の週には、レッスンの録画を保存しているクラウドの月額が上がるという通知も届いていました。
その日の夕方、高校2年生の藤原颯太(17歳)が学校から帰ってきて、リビングの暑さに顔をしかめました。
「エアコン、いつ来るの」
「来週。それまでは扇風機でしのいで」
「うわ、まじか」
颯太が自分の部屋に上がったあと、ゆかりは冷蔵庫から麦茶を出し、テーブルにノートを広げました。エアコン、パソコン、クラウドの月額。並べて書き出すと、買い替えと値上げが同じ時期に重なっているのが分かります。
ノートの隣には、その月のレッスン料の入金明細がありました。受講生の数は去年と変わっていないのに、円に替えたあとの金額は増えています。ドルで受け取っているからです。
出ていくものも、入ってくるものも、同じひとつの数字に引っ張られている。見積もりを見て気が重くなるのと、明細を見て少し安心するのが、同じ日に起きている。ゆかりはそう思いました。
2026年の現在地 家の中は輸入とつながっている
総務省の令和7年版(2025年版)情報通信白書は、財務省の貿易統計をもとに、ICT財(パソコン、携帯電話機、集積回路など)の輸出額と輸入額の差を計算しています。2024年は3兆4168億円の輸入超過でした。
赤字がもっとも大きい品目は携帯電話機で、近年その拡大が続いています。次いでパーソナルコンピュータ、パソコン以外の電子計算機本体、有線電気通信機器の順に赤字額が大きいです。一方、黒字が大きいのはその他の電子部品と集積回路でした。白書は、黒字が大きいのは部品・部材で、赤字が大きいのは最終製品という傾向がある、と整理しています。部品を売って、完成品を買っている構図です。なお、携帯電話機とパーソナルコンピュータの最大の輸入元は、いずれも中国とされています。
モノだけではありません。同じ白書によると、国際収支統計のサービス収支のうち、コンピュータサービス、著作権等使用料、専門・経営コンサルティングサービスの合計は、2024年に約6兆7000億円の赤字でした。前年より赤字額が約9000億円増えています。クラウドサービスやオンライン会議システムの利用料が大きな部分を占める「通信・コンピュータ・情報サービス」については、2024年の赤字の規模がアメリカ、シンガポール、オランダ、中国、スウェーデンの順に大きいとしています。
いわゆるデジタル赤字です。海外の事業者に払っているクラウドの月額も、配信サービスの料金も、この統計に含まれています。
200円時代の試算 まずは機械的に計算する
この連載では、1ドル=160円を起点に、200円をその1.25倍として試算します。輸入価格が為替にそのまま連動すると仮定すれば、円で払う金額も1.25倍になります。
ただし、これは為替だけの影響を価格全体に100%反映させた機械的な目安です。家電には国内で組み立てられているものもあり、価格には日本国内の人件費や物流費、店舗の経費も含まれます。通信料や配信サービスも同じで、料金のすべてが海外への支払いというわけではありません。
実際にはどれだけ上がったのか
そこで、過去の円安局面で店頭価格が実際にどれだけ動いたかを見ます。
日本銀行の時系列統計によると、東京市場のドル・円スポットの月中平均は、2021年1月の103.70円から2025年12月の155.85円になりました。約1.5倍です。
この間、総務省の小売物価統計調査が調べた価格は次のように動いています。冷蔵庫、プリンタ用インクは東京都区部の年平均、携帯電話機は全国一律の価格として集計されている品目の年平均です。
- 冷蔵庫:2021年の23万2829円 → 2025年の26万7173円(14.8%の上昇)
- プリンタ用インク:2021年の1768円 → 2025年の1934円(9.4%の上昇)
- 携帯電話機:2022年の13万9990円 → 2025年の15万5213円(10.9%の上昇)
携帯電話機を2022年からの比較にしているのは、この品目が2022年1月から全国一律の価格として集計されるようになったためです。
為替が5割動いた5年ほどの間に、店頭価格の上昇は1割前後にとどまりました。機械的な試算が示す25%と、実際に起きた1割前後。この差には、企業が値上げをどこまで店頭に反映させるかという判断や、価格のうち国内で生じる費用の分が影響していると考えられます。数字だけを1.25倍して身構えるより、この幅を頭に置いておくほうが現実に近いはずです。
変わること、変わらないこと
厳しくなるのは、買い替えのタイミングです。冷蔵庫やエアコンは長く使う家電です。内閣府の消費動向調査によると、2025年度に買い替えた世帯が買い替え前に使っていた期間は、ルームエアコンが平均13.4年、電気冷蔵庫が13.1年でした。買い替えの間隔が長いぶん、次に買うときの値段の変化をまとめて受け止めることになります。ゆかりが感じた重さは、10年ぶんの物価の変化をまとめて見たときの重さでもあります。
一方、サブスクリプションは、1回の値上げが小さくても、その増額分を毎月支払うことになります。海外のクラウドを仕事の道具として使っている人ほど、影響を受ける金額は大きくなります。
一方で、追い風を受ける側もあります。日本が黒字を出しているその他の電子部品や集積回路は、海外向けの売上を円に替えたときの金額が増える方向に働きます。海外に売る力そのものも伸びています。総務省の調査によると、放送コンテンツの海外輸出額は2023年度に835億8000万円と、前年度より10.5%増えました。ドルやユーロで受け取る収入は、円に替えたときの金額が増えます。ゆかりの入金明細に起きていたのも、規模はまるで違いますが同じ種類の変化です。
変わらないのは、選び方の効き目です。長く使えるものを選ぶ、修理して使う、使っていないサブスクを解約する。どれも為替とは関係なく効きますが、輸入品の値段が上がるほど、効き目は大きくなります。
200円時代の値札
- スマートフォン(携帯電話機):現在16万419円 → 約20万524円
- 冷蔵庫:現在27万7093円 → 約34万6366円
- ルームエアコン:現在11万974円 → 約13万8718円
- プリンタ用インク:現在1971円 → 約2464円
- インターネット接続料(光ファイバー):現在5005円 → 約6256円
- ウェブコンテンツ利用料:現在1080円 → 約1350円
- 喫茶店のコーヒー1杯:現在632円 → 約790円
現在価格はいずれも総務省「小売物価統計調査」によるものです。スマートフォン、インターネット接続料、ウェブコンテンツ利用料は全国一律の価格として集計されている品目の2026年7月の価格、冷蔵庫、ルームエアコン、プリンタ用インク、コーヒーは東京都区部の2026年6月の価格です。品目名は、一部を読者に分かりやすい言い方に置き換えています。
※試算額は現在価格を1.25倍し、1円未満を四捨五入しています。
※為替変動が価格に完全に転嫁されると仮定した機械的試算です。実際の価格は、企業の価格戦略・原材料比率・政府の対策等により変わります。
まとめ
家の中を見回すと、輸入されているのはモノだけではありませんでした。毎月の料金として静かに引き落とされていくサービスも、その先は海外につながっています。2024年のデジタル関連の赤字が約6兆7000億円という数字は、海外への支払いから受け取りを差し引いた額です。
備えとしてできることは、それほど多くありません。買い替えの時期を「壊れてから」ではなく、あらかじめ見込んでおくこと。修理できる製品を選ぶこと。契約しているサブスクリプションを年に1回は並べて見ること。そして、自分の仕事のなかに海外へ届けられるものがないかを考えてみること。ゆかりの入金明細は、その最後のひとつが効いた例です。
コーヒー1杯は632円から約790円になります。1杯ぶんの値上がりを気にする一方で、家の中には、同じ理由で数万円ずつ動くものが並んでいます。
リファレンス
- 総務省 令和7年版 情報通信白書「ICT分野の輸出入」
- 総務省 令和7年版 情報通信白書「我が国の放送系コンテンツの海外輸出の動向」
- 総務省統計局 小売物価統計調査(動向編)全国統一価格品目の月別価格(e-Stat)
- 総務省統計局 小売物価統計調査(動向編)主要品目の都市別小売価格(e-Stat)
- 総務省統計局 小売物価統計調査(動向編)調査品目の年平均価格(e-Stat)
- 総務省統計局 小売物価統計調査(動向編)全国統一価格品目の年平均価格(e-Stat)
- 日本銀行 主要時系列統計データ表 為替相場(東京インターバンク相場・月次)
- 内閣府 消費動向調査 令和8年(2026年)3月実施調査結果
※本連載はフィクションです。制作体制については編集方針・AI利用ポリシーをご覧ください。


