しおり堂の処方箋

しおり堂の処方箋

刻舟求剣「昔のタイムには、まだ勝てません」

8月も終わりに近い朝、商店街を抜ける風が、しおり堂の開店札を何度も壁に当てていた。栞さんは外へ出て、札のひもを少し短く結び直した。店に戻ったところで、ドアが開いた。ランニング用の時計を手首につけた女性が、入口で一度振り返った。坂井真帆(31...
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曲突徙薪「何も起きなかった日は誰も数えません」

お盆の最中の夕方だった。商店街はシャッターの下りている店のほうが多く、路地に入るとさらに静かで、蝉の声も途切れがちだった。しおり堂の窓には灯りがついていた。ドアが開いて、開襟シャツの男が敷居のところで足を止めた。「すみません。開いてますか」...
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風樹の嘆「止まないのは風のほうです」

昼過ぎまで降っていた雨が、急にやんだ。軒から水の落ちる音だけが路地に残っている。盆休みの初日で、表通りのシャッターは半分ほどが下りていた。しおり堂の戸が細く開いて、女が傘の先を外に向けたまま立ち止まった。「あの、開いていますか」「開いていま...
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登竜門「門の下にいるのは 海を渡ってきた魚です」

夜の路地は、昼の熱をまだ手放していなかった。風がなく、遠くで雷が低く鳴っている。盆休みまであと3日の晩で、表通りの店はどこも早じまいの支度を始めていた。しおり堂の窓にまだ明かりが残っている時間に、自転車を押した男が路地の入口で足を止めた。チ...
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多岐亡羊「あなたが探しているのは 道ではなく羊です」

朝の路地に、まだ靄が残っていた。前の晩に通り雨があって、敷石の色が濃いままになっている。盆休みまであと1週間で、通りの向こうの八百屋はもう表に水を打ちはじめていた。しおり堂の引き戸が動いたのは、栞さんが表の板戸を柱に留めたばかりの時間だった...
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木鶏「あの鶏も はじめは影に反応していました」

西日が路地の突き当たりの壁に当たって、白い漆喰を橙色にしていた。8月に入って最初の週で、駅前の商店街には帰省みやげの貼り紙が出はじめている。風はまだ生ぬるいが、昼の重さは抜けていた。引き戸が半分だけ開いて、半袖のシャツの男が顔を出した。ネク...
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桃李もの言わざれど下自ら蹊を成す「あなたの下には もう道ができています」

朝から降っていた雨が、昼を過ぎてやんだ。路地の敷石はまだ濡れていて、雲の切れ間から差しはじめた日が、その濡れた面を細く光らせている。8月の、まだ盆には間のある昼下がりだった。引き戸が開いて、上着を腕にかけた男が入ってきた。宮田隆行は、傘の先...
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孟母三遷「動いたのは 子どもではありませんでした」

八月に入って二日目の午前だった。朝から低い雲が動かず、風もない。路地の奥では、蝉の声がまばらに落ちていた。しおり堂の引き戸が半分ほど開いて、そこで止まった。それからもう一度押されて、女が一人、店のなかをのぞくように立った。「……入っても、い...
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老馬の智「道を覚えているのは 速い馬ではありません」

八月に入って最初の夜だった。生ぬるい風が路地を通り抜けるたびに、しおり堂の軒先に下がった木の板が、かたん、かたんと鳴っていた。その音に足を止めた女が、板に彫られた字を読んでから、引き戸を開けた。「まだ、開いていますか」「ええ」栞さんはカウン...
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首鼠両端「迷っているのは どちらも手放せないからです」

夕立が上がったばかりの路地は、まだ濡れていた。アスファルトから湯気のような匂いが立ちのぼって、七月の終わりの熱がそのまま残っている。傘をたたみながら、男が一人、しおり堂の引き戸を開けた。「すみません、こちら、しおり堂さんで合っていますか」「...