元の自分に戻ろうとするから苦しい 15歳で夢を絶たれた認知科学者が書いた『The Other Side of Change』

元の自分に戻ろうとするから苦しい 15歳で夢を絶たれた認知科学者が書いた『The Other Side of Change』 未翻訳の本棚

15歳の朝、練習中に指から音がした。その日、ジュリアード音楽院でイツァーク・パールマンの個人指導を受けていた少女の、バイオリニストとしての未来は終わりました。それから20年あまり、認知科学者になった彼女が書いた本が、2026年1月にアメリカで刊行と同時にベストセラーになっています。テーマは「予期せぬ変化」。ただし本書が投げかけるのは、どうやって元に戻るかという問いではありません。

この本の持ち帰りメモ

変化のあと、人は元の自分に戻るのではない。別の自分になる。問うべきは「どう乗り越えるか」ではなく「向こう側で誰になるか」である。

著者は誰か

マヤ・シャンカー。インド系移民の両親のもとに生まれた4人きょうだいの末っ子です。母親がきょうだいそれぞれに楽器を選ばせたとき、彼女がバイオリンを選んだのは、祖母がインドで少女時代にバイオリンを弾いていたからだったと、本人がインタビューで語っています。

学校が終わるとバス停から走って帰り、何時間も練習する。毎週土曜日は母親と午前4時に起きて、ニューヨーク行きの電車に乗ってジュリアード音楽院へ通う。そんな子ども時代を経て、ティーンエイジャーになった彼女は、憧れの存在だったイツァーク・パールマンから私的な弟子として招かれます。プロの演奏家になる夢は、手の届くところまで来ていました。

それが終わったのが15歳のときです。難しい技術的なパッセージをさらっていて、指を伸ばしすぎた。TED講演で彼女はその朝のことを語っています。

そこからの経歴は、方向転換の連続です。エール大学で学士号、オックスフォード大学でローズ奨学生として博士号を取得し、スタンフォード大学で認知神経科学の博士研究員を務めました。その後、オバマ政権で上級政策顧問、グーグルで行動経済学のシニアディレクターを歴任し、国連では初代の行動科学アドバイザーに就任しています。自身が制作・司会を務めるポッドキャスト「A Slight Change of Plans」は、2021年にアップルの年間ベストショーに選ばれました。

中身:変化が怖い本当の理由

本書は7つの章からなり、各章に1人ずつ「人生が前と後に分断された」人物の物語が置かれています。扱われる変化は、身体の状態の激変、失職、大切な人の死、収監など。ひとりの物語を語ったうえで、そこから普遍的な心理学の原理を引き出し、最後に実践的な手立てを示す。書評誌ブックページは、この物語・心理学・助言という組み立てが全章を貫いていると評しています。

私たちはハンドルを握っていたい

変化が怖い理由はいくつもありますが、著者が最大の理由として挙げるのは、人間が「ハンドルをしっかり握っていたい」生き物だということです。彼女はインタビューで、ある研究に言及しています。電気ショックを受ける確率が100パーセントだと告げられた人よりも、50パーセントだと告げられた人のほうが、強いストレスを感じるという結果です。

つまり私たちは、悪い結果そのものよりも、どちらに転ぶかわからない状態のほうを嫌う。確実な不幸のほうがまだましだと感じてしまうほどに、あいまいさが苦しいわけです。

「何をするか」ではなく「なぜするか」

もうひとつ、著者が取材を重ねるなかで浮かび上がってきたのが、変化がアイデンティティそのものを揺さぶるという構造でした。役割や肩書きで自分を定義することには利点もありますが、その役割が脅かされたときに足元が崩れ、否認の状態に入りやすくなる。書評誌ブックページは、本書のこの部分を、脳幹の脳卒中で人生が変わった大学生アスリートの物語から入っていく章として紹介しています。

ここで本書の中心にある処方が出てきます。自分を「何をするか」で定義するのではなく、「なぜそれをするか」で定義する。役割は奪われうるけれど、その役割を選んだ理由まで奪われるわけではないからです。

著者自身がそうでした。バイオリンで自分が本当に愛していたものは何だったのかと自問し、たどり着いた答えは「他者と感情でつながること」だった。だとすれば、楽器を失ってもその願いは失われていない。あとは、つながり方の別の形を見つければいい。実際、彼女は認知科学とポッドキャストという形でそれを見つけたことになります。

私たちは未来の自分を過小評価している

著者がポッドキャストの対談で触れているテーマのひとつに、心理学でいう「歴史の終わり錯覚」があります。2013年に科学誌サイエンスに掲載された研究で、18歳から68歳までの1万9000人以上を調べたところ、どの年代の人も「この10年で自分は大きく変わった」とは認めるのに、「これからの10年ではあまり変わらないだろう」と考えていました。

いまの自分が完成形だと、私たちは無意識に思い込んでいる。変化が来たときにこれほど動揺するのは、そもそも自分が変わりうることを勘定に入れていないからだ、という見立てです。

著者が語っていること

バイオリンを失ったとき、自分が悼んでいたのは楽器だけではなかった。自分自身を失ったことも同時に悼んでいた。著者はスライブ・グローバルのインタビューでそう振り返っています。

同じインタビューで彼女は、私たちは変化の向こう側にいる自分が同じ人間ではないことを忘れてしまう、とも述べています。ここが本書のタイトルの由来でもあります。

ニュースレター「ソウル・ブーム」は、本書の問いを「この変化をどう生き延びるか」ではなく「その向こう側で自分は誰になりうるか」だと要約しています。TED講演では、不確実性に直面したときに自分へ投げかける3つの問いが提示されました。

なお著者は、自分がバイオリンを失った話は本書で扱った人たちの経験の激しさに比べればささやかなものだ、という趣旨のことをハーバード・ビジネス・レビューのポッドキャストで語っています。同番組では、組織の変化やAIによる変革に直面するリーダーへの応用も話題になりました。

反響

本書は2026年1月13日の刊行と同時にニューヨーク・タイムズのベストセラーに入りました。刊行時にはCNNの番組とトゥデイ・ショーに出演し、ブレネー・ブラウンとの対談イベントも行われています。

推薦者の顔ぶれも厚めです。米国版にはブレネー・ブラウン、アダム・グラント、スレイカ・ジャワドの推薦文が、英国版にはマルコム・グラッドウェルとメル・ロビンズの推薦文が掲載されています。ノンフィクションの新刊を選書するネクスト・ビッグ・アイデア・クラブは、本書を2026年に注目する一冊として取り上げました。

日本語で読めるのはいつか

2026年7月28日時点で、本書の日本語版は確認できませんでした。著者の既刊も日本語では出ていません。

原書はリバーヘッド・ブックス(ペンギン・ランダムハウス系)から2026年1月13日に刊行された256ページのハードカバーです。電子書籍と、著者本人が朗読するオーディオブックも出ています。英国版はペンギン系の版元から別装丁で刊行されています。

翻訳の見通しについては、判断が分かれるところです。著者の日本での知名度はまだ高いとは言えず、その意味では急がれない一冊に見えます。一方で、ニューヨーク・タイムズのベストセラーであること、TEDの公式サイトに講演があること、推薦者に日本でも著書が読まれている書き手が並んでいることを考えると、企画が動く条件はそろっています。

英語版はこちらから購入できます:The Other Side of Change(Kindle版)
※Amazonのアソシエイトとして、オアシス新聞は適格販売により収入を得ています。

もしいま、あなたの予定が思わぬ形で崩れているなら。この本が差し出す問いは、どうやって元に戻るかではありません。向こう側にいるのは誰なのか、です。

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