ある日、一人の女性が古い木の扉を押して入ってきた。紙とインクの匂いがした。壁一面の棚に、背の高い本と低い本が隙間なく並んでいる。
「何かお探しですか」と栞さんは声をかけた。
女性は少し間を置いてから、「いえ、なんとなく」と言った。そのまま棚の前に立ち、背表紙をぼんやりと眺めていた。視線は動いているのに、何も見ていないような目だった。
しばらくして、彼女は言った。「最近、頭の中がうるさくて」と。「仕事のことも、将来のことも、全部うまくいかない気がして。根拠もないのにずっと怖いんです」
栞さんは少し考えてから、棚の奥に手を伸ばした。古い装丁の、薄い本だ。
「杞憂、という言葉をご存じですか」
空が落ちてくると信じた人たち
中国の古典『列子』に、こんな話が出てくる。
杞という小国に住む男が、ある日突然、食事も喉を通らなくなった。夜も眠れない。理由はただひとつ——天が崩れ落ちてきたらどうしよう、地面が陥没したらどうしよう、という恐怖に取り憑かれたからだ。
友人が「天はただの気の集まりだから落ちてこない」と説明しても、男は「じゃあ日や月や星が落ちてきたら?」と問い返す。友人がそれも丁寧に否定すると、今度は「じゃあ地面が崩れたら?」と続ける。
心配が心配を呼び、終わりがない。
やがて別の賢者がやってきて言った。「天も地もあなたも、すべて同じ気でできている。崩れることを恐れるのは、そもそも筋が違う」と。男はようやく笑顔を取り戻したという。
「杞憂」とはここから来ている。「取り越し苦労」「起きもしないことを心配すること」という意味で、日本語にも根づいた。
根拠のない恐怖は、2500年前からある
栞さんは静かに言った。
「面白いのは、杞の男が馬鹿にされる話として伝わってきたことです。でも実際には、あなたも私も、同じことをしていませんか」
根拠のない不安を抱えることは、人間の普遍的な癖らしい。心配ごとのほとんどは実際には起こらないと、さまざまな研究が示している。それでも人は心配する。2500年前の中国でも、今日の日本でも、構造は変わらない。
「杞憂という言葉が生き残ってきたのは、笑い飛ばすためじゃなくて、みんなそうだよ、と言い続けるためかもしれないですね」
女性はしばらく黙っていた。
「そうかもしれない」と、小さく言った。
心配するエネルギーをどこに使うか
列子の話には、もうひとつ注目すべき点がある。
男の不安を解消したのは、友人でも賢者でもなく、「説明」だった。天がなぜ落ちてこないか、地面がなぜ崩れないかを、丁寧に語ること。不安の正体を言葉にして、輪郭を与えること。
栞さんはカウンターの上に本を置いた。
「心配をゼロにする方法は、おそらくないです。でも、何を心配しているのかを言葉にすると、少し軽くなることはある。杞の男も、話してみて、初めて眠れるようになったわけですから」
女性は本を手に取った。買うかどうかは、まだ決めていないようだった。それでもしばらく、その場に立っていた。
原典 ── 『列子』天瑞篇
杞国有人、憂天地崩墜、身亡所寄、廃寝食者。(杞の国に人あり、天地の崩れ墜ちることを憂い、身の寄るところなく、寝食を廃する者あり。)しおり堂の処方箋
心配ごとに輪郭を与えること。言葉にして、初めて手放せるものがある。しおり堂の場所は、ご自身でお探しください。
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