平日の午後、散歩中のスーツ姿の男が、ふと足を止めて「しおり堂」の扉を押した。
「お仕事の途中ですか」と栞さんが聞いた。
「休憩です。少し歩きたくて」
男は棚を一通り眺めたあと、ビジネス書のコーナーで足を止めた。手に取った本の帯には「〇〇社が学んだ失敗」というような文字が並んでいた。
「こういう本、よく読むんですけど」と男は言った。「正直、あまり自分には関係ないなと思って読んでいます。会社の規模も業種も違うし、その人が特別に運が悪かっただけかもしれないし」
栞さんはコーヒーを一口飲んで、少し考えるような顔をした。
「最近、何かうまくいかなかったことがありましたか」
男は少し黙って、それから小さく笑った。
「少し前、後輩が仕事でミスをしたんです。その時は『自分は大丈夫だろう』と思っていました。けれど、最近、私も同じようなミスをしてしまいました」
栞さんは棚の奥から、古い詩集を一冊抜き出した。
他山の石 ── よその山の石でも、玉を磨ける
「他山の石(たざんのいし)」は、『詩経』小雅・鶴鳴という詩に出てくる言葉から生まれました。
この詩には、鶴が鳴く声、魚が沈む沼、庭の木々といった情景が並んだあとに、ある一句が置かれています。「他山の石、以て玉を攻(おさ)むべし」。よその山から出た粗末な石でも、それを砥石として使えば、自分の持つ美しい玉を磨くことができる、という意味です。
原典 ── 『詩経』小雅・鶴鳴
鶴鳴于九皋、聲聞于野。魚潛在淵、或在于渚。樂彼之園、爰有樹檀、其下維萫。他山之石、可以爲錯。 鶴鳴于九皋、聲聞于天。魚潛在淵、或在于渚。樂彼之園、爰有樹檀、其下維穀。他山之石、可以攻玉。もともとの詩の中で、この石は「よそ者」であり「粗末なもの」として描かれています。だからこそ、自分の玉を磨くには使えないと思われがちなものでした。しかし詩はそれを否定せず、むしろ「使える」と言い切っています。関係のなさそうな石ほど、案外よく磨けるということを、この詩は知っていたのかもしれません。
しおり堂の処方箋
「その後輩の話を聞いていたとき、私はたぶん、その石を『よその山の、関係ない石』だと思っていたんだと思います」と男は言った。
栞さんは詩集を閉じて、静かに言った。
「その感覚、よくわかります。会社が違う、状況が違う、性格が違う。違うところを探せば、いくらでも見つかりますから。でも詩に出てくる石も、玉とは全く別の場所から来た、全く違う石なんですよね。それでも磨けると、詩は言っています」
「違うからこそ、関係ないと思ってしまう」
「そうですね。でも本当は、違うからこそ、自分では気づけない角度から磨いてくれるのかもしれません。同じ場所にある玉同士では、磨き合えませんから」
しおり堂の処方箋
自分と関係なさそうな話ほど、実は自分を磨く砥石になっています。「その話はまだ自分のことだ」と、一度だけ思い直してみてください。男は詩集をそっと閉じて、栞さんに返した。
「また、同じミスをする前に来られてよかったです」
「いつでも。次は違う石を見つけに来てください」
雨上がりの匂いがする風が、扉の隙間から入ってきた。男は一礼して、店を出ていった。
しおり堂の場所は、ご自身でお探しください。
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