※本記事は公的統計データに基づき、現代の家計事情をリアルに再現したシミュレーション・ストーリーです。
「お母さん、右の足の付け根を骨折しちゃって……」。新潟県内の病院からかかってきた電話で、田辺健太(44・会社員)は最初、何が起きたのか飲み込めなかった。一人暮らしの母・田辺君子(79)が庭先で転倒し、大腿骨を骨折して緊急入院したという知らせだった。
庭先での転倒から、退院後の生活へ
手術は無事に終わり、入院・リハビリを経て君子さんは3週間ほどで自宅に戻ることができた。ただし、以前のように一人で家事や買い物をこなすのは難しくなっていた。退院前のカンファレンスで、担当医とケアマネジャーから告げられたのは「要介護1」の認定だった。
「え、また上がるの?」。妻の沙織(41・パート勤務)が家計簿を見ながらつぶやいたのは、その数週間後のことだった。訪問介護とデイサービスを使い始めたことで、母の生活は安定してきた。だが同時に、田辺家の毎月の支出には、これまでなかった項目が加わることになった。
「要介護1」で見えてきた、負担の輪郭
介護保険サービスを利用する場合、費用の負担割合は原則1割(一定以上の所得がある人は2割または3割)で、要介護度ごとに1か月あたりの利用限度額(区分支給限度基準額)が決められている。要介護1の場合、この限度額は167,650円。限度額の範囲内であれば費用の1割の自己負担で済むが、限度額を超えた分や、食費・おむつ代などの保険適用外の実費は全額自己負担になる。
君子さんは訪問介護とデイサービスを組み合わせて利用しており、介護保険サービス自体の自己負担は月1万円に届かない程度に収まっている。だが、住宅改修(手すりの設置・段差解消)の自己負担分や、保険の対象外となる日用品・食費、さらに一人では通えない通院の付き添いや買い物代行を近所のシルバー人材センターに頼む実費などが積み重なり、母の年金収入だけでは足りない部分が目に見えて増えていった。
「施設に入るほどではないし、まだ一人で頑張りたいって言うから……」。健太は、母の意思を尊重したい気持ちと、じわじわ増えていく仕送り額の間で揺れていた。
仕送りは、月2万円では収まらなかった
これまで田辺家では、母の誕生日や季節の贈り物のほかに、月2万円ほどを生活費の足しにと定期的に送っていた。それが、母の要介護認定をきっかけに、介護サービスの自己負担分や住宅改修費、通院・買い物の付き添い費用を含めて月4万5000円まで膨らんだ。
総務省統計局「家計調査」によると、2025年の二人以上の世帯における「仕送り金」(他の世帯への生活費援助等)は月平均5,523円で、前年に比べて名目2.3%、物価変動を除いた実質では5.8%の減少となった。この数字は仕送りをしていない世帯も含めた全世帯の平均であり、田辺家のように介護が始まったばかりの世帯の実感とは単純に比較できない。ただ、「仕送り」という費目全体としては全国平均で減少傾向にある中、田辺家の負担だけが逆方向に増えているという事実は、健太にとって静かな戸惑いだった。「うちだけ、なんでこんなに増えるんだろう」。そんな言葉が、夫婦の会話に増えた。
リアル家計簿:田辺家(夫44歳・妻41歳・子2人)
収入
健太の給与(手取り):290,000円
沙織のパート収入:120,000円
収入合計:410,000円
固定費
住宅ローン(変動金利、現在):110,000円
通信費(スマホ4台・Wi-Fi):18,000円
生命保険・学資保険:25,000円
車1台(ローン・任意保険・駐車場):30,000円
固定費小計:183,000円
変動費
食料費:75,000円
水道光熱費:22,000円
日用品・雑費:15,000円
長男の部活動費・長女の習い事費:20,000円
母への仕送り(生活費・介護サービス自己負担分含む):45,000円(これまでは20,000円)
変動費小計:177,000円
特別費(年間支出の月割り)
車検・自動車税(年間約11万円の月割り):9,000円
帰省交通費(新幹線・年4回の月割り):8,000円
冠婚葬祭・家電買い替え備え(年間約6万円の月割り):5,000円
特別費小計:22,000円
貯蓄
つみたてNISA:30,000円(これまでは50,000円)
支出合計:412,000円
収支:−2,000円(ボーナスで補填)
仕送りが2万5000円増えた分は、つみたてNISAの積立額を2万円減らすことでほぼ吸収した。それでも埋まらない差額は、夏と冬のボーナスで補填する形になっている。「老後資金を積み立てているつもりが、目の前の親の生活を支える方が先になっている」。沙織は家計簿をつけながら、そうこぼした。
「こんなはずじゃなかった」に、答えはまだない
田辺家では、長男が高校受験を控え、これから塾代や受験費用がさらにかさむことが見込まれている。母の介護がどの程度の期間、どの程度の費用で続くのかは、誰にも予測がつかない。「共働きで、子どもの教育費に備えていれば大丈夫だと思っていた」と健太は言う。だが実際には、自分たちの世代が働き盛りである一方で、親の世代を支える側にも回るという、想定していなかった二正面の負担が同時にのしかかっている。
母には「無理しないで」と伝えているが、健太自身、仕送り額をこれ以上どこまで増やせるのか、正直なところ見通しは立っていない。それでも、月に一度は新幹線で顔を見に行き、母の様子を確かめる時間だけは削らないようにしている。
※本連載はフィクションです。制作体制については編集方針・AI利用ポリシーをご覧ください。
リファレンス
家計調査(総務省統計局)
2025年(令和7年)平均結果の概要(総務省統計局)
サービスにかかる利用料(介護サービス情報公表システム・厚生労働省)
※統計データは総務省統計局「家計調査」の公表資料、および厚生労働省「介護サービス情報公表システム」により確認しています。


