定年の翌月 同じ机で月収は6割に 再雇用で働く60歳と大学2年の娘を抱える家計

定年の翌月 月収は6割に 再雇用で働く60歳の家計簿 転落家族

※本記事は公的統計データに基づき、現代の家計事情をリアルに再現したシミュレーション・ストーリーです。

4月25日の給料日、秋本隆志(60歳)は会社のロッカーの前で、スマホの給与明細をしばらく見つめていました。支給額258,000円。先月まで、そこには430,000円と表示されていました。

机は同じです。内線番号も、頼まれる仕事も、ほとんど同じ。変わったのは、名刺の肩書が「資材部係長」から「嘱託社員」になったことだけでした。

定年の翌月、明細の数字だけが変わった

秋本家は、機械部品メーカーに勤める夫の隆志(60歳)、調剤薬局の受付で週4日パートをする妻の典子(56歳)、私立大学2年生の長女・美帆(20歳)の3人家族です。結婚が遅かったため、隆志が定年を迎えた春、美帆はまだ大学2年生でした。

隆志は3月末で定年を迎え、4月からは同じ会社の再雇用制度で働いています。1年契約の嘱託社員。月給は430,000円から258,000円へ、定年前のちょうど6割になりました。

「同じ仕事なのにね」と、夕食の席で典子が言いました。

「そういう決まりなんだよ。どこの会社も、だいたいそうらしい」

そう答えながら、隆志は自分に言い聞かせている気がしていました。60歳の誕生日まで、定年はただの通過点のつもりでいたのです。再雇用してもらえるだけありがたい。頭ではそう思っても、明細の数字を見るたびに、同じ言葉が浮かびます。おれの仕事は、4割ぶん、軽くなったのか。

「6割」は珍しくない 統計が示す60歳の段差

65歳未満の定年を定めている会社には、高年齢者雇用安定法により、65歳までの雇用確保措置が義務づけられています。厚生労働省によると、措置は「定年の引き上げ」「継続雇用制度の導入」「定年の廃止」の3つのいずれかで、継続雇用制度は希望者全員を対象とすることが求められます。隆志の会社が選んでいるのは、多くの会社と同じ継続雇用制度、いわゆる再雇用です。

働き続けられること自体は、制度が保証してくれています。ただし、賃金の水準までは保証されません。厚生労働省の令和7年賃金構造基本統計調査によると、一般労働者・男性の賃金(月額)は55〜59歳の445,600円がピークで、60〜64歳では358,500円へと下がります。統計の平均で見ても、60歳を境に賃金はおよそ2割低くなる。個々の会社の再雇用では、隆志のように「6割」まで下がる例も珍しくありません。

問題は、秋本家の支出のほうは6割にならないことでした。

リアル家計簿:秋本家(夫60歳・妻56歳・子1人)

収入

  • 夫の給与手取り(月給258,000円・嘱託社員):約210,000円
  • 高年齢雇用継続給付(月給の10%):25,800円
  • 妻のパート収入(調剤薬局受付・週4日):88,000円
  • 収入合計:約323,800円(定年前は約423,000円)

固定費

  • 長女の大学関係費(授業料・施設費の年間約1,150,000円の月割り):96,000円
  • 電気・ガス・水道:24,000円
  • 通信費(スマホ3台・Wi-Fi):15,000円
  • 生命保険・医療保険(夫婦2人分):23,000円
  • 持ち家の維持(火災保険・修繕の積み立て):8,000円
  • 車1台(任意保険):7,000円
  • 固定費小計:173,000円

変動費

  • 食費(3人・夫は4月から弁当持参):78,000円
  • 日用品:12,000円
  • ガソリン・車の維持:10,000円
  • 医療費(夫の血圧の通院):6,000円
  • 夫婦の小遣い・交際費:35,000円
  • 長女の通学定期・教材費:14,000円
  • 変動費小計:155,000円

特別費(年間支出の月割り)

  • 固定資産税(年間約120,000円の月割り):10,000円
  • 自動車税・車検・タイヤ交換(年間約110,000円の月割り):9,000円
  • 帰省・冠婚葬祭・家電の買い替え(年間約180,000円の月割り):15,000円
  • 特別費小計:34,000円

支出合計:362,000円/収支:約−38,200円(退職金と貯蓄の取り崩しで補填)

定年前の秋本家は、毎月60,000円ほどを老後資金として積み立てる側でした。それが4月からは、月約38,200円を取り崩す側に回りました。差し引きすると、家計の体力は毎月100,000円ずつ削られている計算になります。

給付金の「1割」と、あと2年半の学費

収入の欄にある高年齢雇用継続給付は、60歳以降も雇用保険に入って働き続け、賃金が60歳時点の75%未満に下がった人に支給される給付金です。厚生労働省の資料によると、支給額は原則として各月の賃金の10%(賃金と給付の合計が60歳時点の賃金の75%に近づく場合は減額)。2025年4月から給付率が引き下げられ、この10%が上限になりました。隆志の場合は月25,800円。会社の労務担当に教えられて初めて、そんな制度があることを知りました。

「1割戻ってくるのは助かるけどさ」と隆志は明細を見ながら言います。「減ったのは4割なんだよな」

家計の出口が見えているのが、せめてもの救いです。美帆の卒業まで、あと2年半。月96,000円の大学関係費がなくなれば、収支は黒字に戻ります。夫婦で描き直した見取り図はこうです。65歳までは赤字を退職金でしのぎ、学費が終わったぶんを老後資金の穴埋めに回す。美帆には、奨学金を借りさせずに卒業させる。そこだけは、最初の計画のまま守ると決めました。

「お父さん、まだ5年も働くの」と美帆が聞いたとき、隆志はこう答えたそうです。

「働くよ。同じ机が、まだおれを待ってるからな」

【コラム】数字で見る「60歳の段差」

令和7年賃金構造基本統計調査では、一般労働者・男性の賃金(月額)は年齢とともに上がり、55〜59歳の445,600円で頂点を迎えます。60〜64歳は358,500円、差し引き87,100円の段差です。この段差の一部を埋めるのが高年齢雇用継続給付ですが、その給付率は2025年4月から最大10%に縮小されました。国の制度は「65歳まで働ける」ことを保証する方向に進む一方、「いくらで働けるか」は会社との契約次第、という構図が続いています。

まとめ

定年後の再雇用は、雇用を守る仕組みであって、収入を守る仕組みではありません。統計の平均でも60歳を境に賃金はおよそ2割下がり、個々の契約では6割前後まで下がる例もあります。学費や住宅費など大きな固定費が60歳を越えて残る家計では、「定年の翌月」から収支が反転します。50代のうちに、再雇用後の賃金水準を会社の制度で確認し、その金額で家計簿を一度組んでみること。秋本家の誤算は、そのまま多くの家庭の予行演習になるはずです。

厚生労働省「令和7年賃金構造基本統計調査の概況」(PDF)
厚生労働省「高年齢者雇用安定法Q&A(高年齢者雇用確保措置関係)」
厚生労働省「高年齢雇用継続給付の見直しについて」(PDF)

※本連載はフィクションです。制作体制については編集方針・AI利用ポリシーをご覧ください。

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