※本連載は2026年時点の統計・公開情報にもとづく未来予測フィクションです。記事中の金額はすべて現在(2026年)の貨幣価値・物価水準に換算しています。
導入
駅前の雑居ビル、2階。仕事案内所の扉を開けたのは、制服の袖を折り返した高校生だった。
夕方の案内所はちょうど空いていた。相談ブースに腰を下ろした少年は、鞄からスマートフォンを出しかけて、やめた。代わりに進路希望調査の用紙を広げる。
「何年生ですか」とミチルさんが聞いた。
「高2です。来月、三者面談があって」
少年の名前は宮本蓮(17歳)。実家は郊外の住宅地で30年続く割烹料理屋を営んでいる。父が板場に立ち、母が接客をしている。
「進路調査、まだ白紙で」
ミチルさんは急かさなかった。蓮はしばらく調査票を見つめてから、ぽつりと言った。
「親父の店を継ぎたいんです、本当は。でも、ニュースで見たんです。チェーン店がロボットで調理を始めたとか、AIがレシピを全部作ってるとか。個人の料理屋なんて、20年後にはなくなってるんじゃないかって」
ミチルさんは用紙の白紙の欄をちらりと見てから、穏やかに言った。
「料理人ですね。この仕事、正直に言いますね」
AI代替率の提示
AI代替率
(編集部予測)
35%
「35%。思ったより低いと感じましたか? それとも高いと感じましたか?」
蓮は少し考えてから、「低いと思いました」と答えた。
「ロボットが寿司を握る映像とか、AIがミシュランレベルのレシピを作るとか、そういうのばっかり見てたので」
「それはね、映像になりやすい部分だけが切り取られているんです。料理人の仕事のうち、AIやロボットに任せられる部分は確かにあります。でも、任せられない部分のほうが、ずっと多い」
2026年、この仕事の現在地
日本料理の調理人は、厚生労働省の職業情報提供サイト(job tag)によると、日本料理調理人を含む調理人全体で就業者数は約182万人。平均年収は379.1万円、平均年齢は44.9歳です。
仕事の中身は多岐にわたります。早朝の市場で魚や野菜の仕入れをし、厨房に戻って下ごしらえ。営業中は注文に応じて焼く、煮る、揚げる、蒸すといった調理をこなしながら、味見をし、盛り付けをし、客の食べるペースを見ながら料理を出すタイミングを計ります。閉店後は翌日の仕込みや発注、清掃。
見習いから始めて一人前になるまでの道のりは長く、入職後に一般的な水準で働けるようになるまで5年以上かかるという回答が全体の18%を超えます。
注目すべきは有効求人倍率です。2024年度の数字は4.71倍。これは求職者1人に対して4件以上の求人がある状態で、深刻な人手不足が続いています。
2045年、何がこの仕事を変えたか
料理人の仕事を変えた技術は、大きく3つあります。
1つ目はAIによるレシピ生成と献立管理。食材の在庫、原価、栄養バランス、季節、客の好み、アレルギー情報を入力すると、AIが最適な献立を即座に提案してくれるようになりました。仕入れ量の見積もりや発注もAIが自動で行います。
2つ目はセントラルキッチンの高度化。チェーン店だけでなく、中規模の飲食店でも、下ごしらえ済みの食材を提供する中央調理施設が普及しました。野菜のカットや出汁の基本仕込みなど、反復作業の多くはここで処理されます。
3つ目は調理ロボットの部分導入。揚げ物の温度管理、炊飯、鍋の撹拌(かくはん)といった「一定の動作を一定の時間繰り返す」タイプの作業は、ロボットが正確にこなすようになりました。
しかし、これらの技術が代替できるのは、レシピに書ける範囲の仕事です。レシピに書けない仕事――目の前の素材の状態を指先で確かめ、火加減を耳で聞き分け、今日のこの客のためだけの一皿を仕上げる仕事――は、2045年になっても人間が担っています。
ある一日
ちょうど先週、案内所に顔を見せてくれた料理人の話をしましょう。
2045年6月の朝5時。中村康介(52歳)は、都心から電車で40分の住宅街にある自分の店「なかむら」の裏口を開けた。15席のカウンター割烹。開業して18年になる。
スマートフォンに、AIからの仕入れ提案が届いている。「今朝の豊洲、真鯛の入荷量は平年比120%。価格はやや下落。活〆の状態良好」。中村はその情報に目を通しつつ、バイクで市場へ向かった。
市場の仲卸で、ケースに並んだ真鯛を一尾ずつ手に取る。目の透明度、エラの色、身の弾力。AIの報告では「状態良好」とあったが、中村の指は一尾だけ、微妙に身がゆるいものを弾いた。データには現れない、触った人間にしか分からない差だ。
店に戻ると、前日の営業データがタブレットに整理されている。予約客の過去の来店履歴、前回のコースの内容、アレルギー情報。これはAIが自動でまとめてくれる。以前は分厚いノートに手書きしていた。
11時。仕込みに入る。出汁を引く工程は、昆布の産地や厚みによって水温と時間を変える。温度センサーつきの鍋が設定通りに加熱してくれるが、最後に味を決めるのは中村の舌だ。その日の湿度、昆布の状態、合わせる料理との兼ね合い。0.1%の塩分の差を、中村は数値ではなく味覚で調整する。
17時。最初の予約客が来た。カウンターに座った常連の夫婦に、中村は今朝の真鯛の話をしながら、刺身を引いていく。包丁の角度で繊維の断面が変わり、舌触りが変わる。カウンター越しに見える客の表情が、仕事の答え合わせになる。
22時。最後の客を送り出し、翌日の仕込みのメモを音声入力でAIに送る。中村はカウンターを拭きながら、明日の献立を考えていた。梅雨の晴れ間、少し気温が上がる。酢の物を一品足そう。季節は、レシピには書けない。
消えた業務・残った業務
| 分類 | 業務内容 |
|---|---|
| AIに代替 | 在庫管理・発注の自動化/レシピ提案・原価計算/予約管理・顧客データの整理/栄養計算・アレルギーチェック/衛生記録の自動ログ |
| AIと協働 | 仕入れの意思決定(AI情報+人間の目利き)/温度・時間管理のセンサー補助/メニュー開発のアイデア出し |
| 人間に残る | 素材の状態を五感で判断する目利き/味の最終調整(舌で決める塩梅)/盛り付けの美学・季節感の表現/カウンター越しの接客・空気の読み/弟子・スタッフへの技術指導 |
それでも人間がやる価値
料理人の仕事の核心は、「今日のこの素材で、今日のこの客のために、今日だけの一皿を作る」ことです。
レシピは再現の技術です。同じ材料、同じ手順で、同じ料理を作る。これはAIとロボットが得意な領域であり、実際にチェーン店の定型調理はかなりの部分が自動化されました。
しかし、料理人がカウンターに立つ理由は、レシピの再現ではありません。昨日と今日で微妙に違う魚の脂の乗り方、客の体調や気分、気温や湿度。これらの変数を五感で受け取り、一皿のなかに季節と人の気配を込める。それは、数値化できないからこそ、人間にしかできない仕事なのです。
2045年の年収
2045年の年収(現在の貨幣価値換算・編集部予測)
- AI・データを使いこなし、独立開業で自分のブランドを築いた層:900万円〜(上限なし)
- 定型的な調理が中心で、チェーン店やセントラルキッチンに依存する層:380万円前後
- 参考・2026年の平均:379.1万円(賃金構造基本統計調査)
有効求人倍率4.71倍が示すとおり、飲食業界の人手不足は構造的なものです。2045年にはさらに深刻化し、料理人の基本年収は底支えされると予測します。一方で、独立開業し、自分の味と空間を武器にした店を持つ料理人の収入は青天井です。SNS発信や予約サイトの活用でファンを獲得し、1,500万円以上を稼ぐ料理人も珍しくなくなっています。
鍵は「代替されない技術」を持っているかどうか。セントラルキッチンから届いた食材を温め直すだけの仕事はAIとロボットに近づいていく一方、自分の目で選んだ素材を自分の舌で仕上げる料理人の価値は上がり続けます。
この仕事を目指すきみへ
ミチルさんは、蓮に向き直った。
「20年後に個人の料理屋がなくなるか、という話でしたね」
蓮はうなずいた。
「なくなりません。ただし、生き残る店の形は変わります。AIが当たり前に献立を提案し、ロボットが揚げ物を揚げる時代に、わざわざ人間の料理人の店に足を運ぶ理由。それは、あなたのお父さんの包丁の音や、カウンター越しの会話や、季節を映した一皿でしか味わえない時間があるからです」
「今からできることを、ひとつ言いますね」とミチルさんは続けた。「お父さんの仕事を、よく見ること。包丁の持ち方でも、出汁の引き方でも、市場で魚を選ぶ目でもいい。AIには教えてもらえないものを、あの厨房で受け取っておいてください。調理師学校に通うかどうかは、その後に決めても遅くないですよ」
蓮は進路調査票を丁寧に畳み直した。白紙の欄に、何か書けそうな気がしていた。
【コラム】「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録された理由
2013年、「和食;日本人の伝統的な食文化」がユネスコ無形文化遺産に登録されました。注目すべきは、特定の料理や調理法ではなく「食文化」として登録された点です。素材の味を引き出す調理技術、季節感の表現、美しい盛り付け、年中行事との結びつき。つまり、レシピではなく、レシピの外にある文化的営みが評価されたのです。これは2045年の料理人が「何を残すべきか」を考えるうえで、大きなヒントになっています。
まとめ
料理人のAI代替率(編集部予測)は35%。レシピの提案、在庫管理、温度管理といった「数値化できる仕事」はAIに移りましたが、素材を五感で見極め、季節を一皿に映し、カウンター越しに客と時間を共有する仕事は、2045年もなお人間の料理人に残っています。有効求人倍率4.71倍の人手不足を追い風に、自分だけの味と空間を磨いた料理人の価値はむしろ高まっていくでしょう。
厚生労働省 職業情報提供サイト(job tag)「日本料理調理人(板前)」
※本記事は公開情報・統計データにもとづく2026年時点の未来予測フィクションです。登場する人物・施設は架空のものです。制作体制については編集方針・AI利用ポリシーをご覧ください。


