エレベーターに乗ったら、操作盤の隅を見てみてください。小さな銘板にメーカーの名前が入っています。日本のビルで見かけるのはたいてい国内メーカーですが、ときどき「OTIS」の4文字が混じります。
この会社は、S&P500の構成企業です。そして、私たちが毎日なにも考えずに使っている「エレベーター」と「エスカレーター」という乗り物を、そもそも世の中に定着させた張本人でもあります。
500社のうち3社目は、オーチス・ワールドワイド(Otis Worldwide Corporation、ティッカー:OTIS)。日本最古の現役エレベーターを、京都の中華料理店で100年動かし続けている会社です。
何をしている会社か:世界の「縦の移動」を引き受ける
オーチスは、エレベーターとエスカレーターの製造・据付・保守・改修を手がける世界最大手です。年次報告書(2025年12月期のForm 10-K)によれば、200を超える国と地域に顧客を持ち、支店と営業所は1400か所以上。従業員は約7万2000人で、そのうち約4万5000人が現場に出る技術者です。同期の売上高は144億3100万ドルでした。
同社の発表によれば、オーチスの製品を使う人は世界で毎日24億人にのぼります。建物のなかで人が上下に動くとき、その動きのかなりの部分をこの1社が支えている計算になります。
代表商品:箱を吊るロープを、ベルトに変えた
主力は乗用エレベーターの製品群です。低層から中層向けのGen2は、かごを吊る部品を従来の鋼のロープから、鋼を芯にした平たいベルトに置き換えた製品で、2000年の発売以来100万台以上が売れました。後継のGen3、機械部品の多くを電子部品に置き換えたGen360、超高層向けのSkyRiseと続きます。
エスカレーターと動く歩道も扱います。近年の主役はむしろデジタル側です。年次報告書によれば、2025年12月末時点で、同社が世界で抱える設備のうち約110万台がネットにつながっています。同社が最新のものと位置づけるのが、機械の状態を常時見張るクラウド型の仕組み「Otis ONE」です。故障してから駆けつけるのではなく、故障する前に気づくための仕掛けです。
強み:売ったあとの数十年で稼ぐ会社
この会社のいちばん面白いところは、収益の形です。2025年12月期の売上高のうち、新しい機械を売って据え付ける「新設」は35%にすぎません。残りの65%は、すでに動いている機械を保守し、改修する「サービス」です。事業ごとの利益で見ると、その差はもっと極端で、新設が9%、サービスが91%を占めます。
オーチスが保守契約で面倒を見ている機械は、世界で約250万台。ここには自社製だけでなく、他社が作ったエレベーターも含まれます。3万7000人の保守技術者が、顧客の近くに置かれた拠点から現場に向かいます。
この形は、思いつきで始まったものではありません。公式の社史によれば、創業者の長男チャールズ・オーチスは1861年に、蒸気式エレベーター1台の保守を年780ドルで引き受ける契約書を自ら書いています。エレベーター保守という商売の、最初の1枚です。そして1932年、世界恐慌で建設が止まった年に、保守と改修の売上が新設を追い抜きました。建物が建たない時期に会社を支えたのは、すでに建っている建物のなかで動き続ける機械のほうでした。

日本との関係:京都の中華料理店で、100年動き続ける1台
日本法人は日本オーチス・エレベータ株式会社です。設立は1932年1月11日、本社は東京都中央区、資本金は3億円。株主には三井住友銀行や住友生命など住友系の企業が名を連ねます。オーチスの日本語サイトによれば、日本に同社製のエレベーターが最初に設置されたのは1896年のことでした。
そして、この会社の日本での顔ともいえる1台が、京都・四条大橋のたもとにあります。中華料理店「東華菜館」のエレベーターです。建物は1926年の竣工。東京・御茶ノ水の山の上ホテルや大阪・心斎橋の大丸百貨店を手がけたアメリカ生まれの建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計した、唯一のレストランです。そこに開業当初から入っているオーチス製のエレベーターは、アメリカで作られ、船で日本へ運ばれてきました。鉄製の格子扉と真鍮の操作ハンドルはそのままで、いまも係員が手で動かします。
日本オーチスは2025年12月、この日本最古の稼働エレベーターを、オーチスが100年にわたり保守してきたと発表しました。設置から100年を迎えるのは、2026年です。部品を作り替え、格子やハンドルを手入れしながら、当初の機械の構造は変えずに動かし続けてきた、というのが同社の説明です。
もちろん現役の仕事もあります。日本オーチスは2024年に東京の麻布台ヒルズへエレベーターを納入し、2025年には黒部川第四発電所の改修と、大阪・関西万博のフランスパビリオンへの設置を発表しました。ダムの内部から万博会場まで、守備範囲は広いままです。
アメリカ人にとっては:「エスカレーター」は、もともと商標だった
この会社が英語圏の日常語に残した最大の痕跡が、エスカレーターという単語そのものです。
公式の社史によれば、1900年のパリ万博で、オーチスの動く階段がグランプリを受けました。この装置の発明者チャールズ・シーバーガーはオーチスと組み、ラテン語をもとに「escalator」という語を作って1899年に商標登録します。ところが、その言葉があまりに広く使われたため、およそ50年後に米国の連邦裁判所は「もはや一般名詞になっている」として商標を無効にしました。自社の造語が世の中に浸透しすぎて、権利ごと世間に取られてしまったわけです。
アメリカの名所での仕事も多く残っています。1907年には自由の女神に最初のエレベーターを設置しました。ただし運んでくれるのは台座の上までで、そこから王冠までの377段は自分の足で上ることになります。1931年に開業したエンパイアステートビルには、乗用61台と貨物用6台が入りました。
トリビア:自分でロープを切らせた男と、エレベーターの音楽
創業者エリシャ・グレーブス・オーチスが売ったのは、じつはエレベーターそのものではなく「落ちない」という安心でした。ロープが切れても止まる安全ブレーキを考案し、1853年に最初の1台を売ります。会社の最初の名前は「ユニオン・エレベーター・アンド・ゼネラル・マシン・ワークス」。いまに続くオーチス・エレベーター・カンパニーの名になるのは、1898年のことです。
売れ行きを伸ばすため、1854年にニューヨークで開かれた博覧会で、彼は興行師のP・T・バーナムと組み、人前で実演をしました。高く上げた台の上に自分が立ち、吊っているロープを切らせるのです。台はわずかに下がったところで止まりました。その年の販売は8台、翌年は15台。彼は1861年1月に特許を取り、その4か月後、49歳でこの世を去っています。
もう1つ、意外な副産物があります。エレベーターのなかに流れる音楽です。公式の社史によれば、かごの中に音楽を流した最初の建物は、1948年のシカゴのパルモリーブビルでした。高層ビルの揺れから乗客の気をそらせるのではないか、という心理学者の見立てを受けて、オーチスが音楽配信会社ミューザックと組んだのが始まりです。あのなんとも言えない音楽には、こういう出どころがあります。
会社そのものも上がったり下がったりしています。1976年、当時すでに世界最大のエレベーター会社だったオーチスは、ユナイテッド・テクノロジーズに買収されて傘下の一事業になりました。ふたたび独立したのは2020年4月3日。ニューヨーク証券取引所に単独で上場したのは、1920年3月18日の初上場から、ほぼ100年後のことでした。
雑談で使うなら、これがおすすめです。「エスカレーターって、もともとは商標だったんですよ。使われすぎて普通名詞あつかいになって、裁判所に取り消されたんです」
これであなたは、500社のうち3社を知りました。
リファレンス
- Otis Worldwide Corporation Form 10-K(2025年12月期)
- Otis Worldwide 公式沿革(Our history)
- 日本オーチス・エレベータ 採用情報
- 日本オーチス・エレベータ 会社概要
- 日本オーチス・エレベータ「日本オーチスが支える100周年の日本最古エレベーター」(2025年12月18日)
- 東華菜館 エレベーターのご案内
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